マエカワの備忘録的な何か

思い立ったが吉日

認知科学 其の三 20171018

映像資料 「ことばの不思議2」

いつの間に言語を覚えたのか?

 人に教えてもらったという「模倣説」がデフォルトとして存在している。しかし、実際は言語の基本構造をもともと知っているという。計算は赤ちゃんにできないのに、言語習得はなぜ数年でできてしまうことが根拠となっている。*1
 生まれた時から問題処理機構を持っていて、下部組織が言語習得に適した形になっているからだという説もある。
 子供は大人と同じように、見たことも聞いたこともない文を作り出すことができる。このことから言語習得には別の処理機構があるのではないかとも言われている。また、複雑な文を作り出すのは5年かかると今まで言われてきたが、実際には3年くらいである程度習得できていることが分かってきた
 どのような言語を話すのかには確かに環境要因に依存する。しかし、それ以前に生得的なものが働いていると考えるのが、自然ではないだろうか。

類推

 これまでの一般セオリーは「類推」だった。類推とは、以前聞いた文を少しアレンジして新しい文を作るというもの。しかし、条件によって語尾が変形する変形文法などは類推では説明することができない。ある文から目的語を取ったとき、somethingを補完するのか、主語にかかるのかは語によって違う。そしてこれは誰に教わることもしない。しかし子供は無意識のうちに知っている。

  1. He eats pizza.
  2. He eats.

上の文2.では、eatsの後ろにsomethingが保管されている。しかし、

  1. He grows the flower.
  2. He grows.

この文2.のgrowsにかかるのはHe自身だ。このように、動詞によって目的語をsomethingで保管するものとそうでないものが存在する。この違いを子供は無意識のうちに認識し、区別している。

子供の始まり

 これまで、子供は無の状態、まっさらな状態から生まれてくると考えられていた。しかし、言語習得のプロセスを見ていくと、とても知能的な構造を持って生まれてきていることが分かってきた。

単語の意味の覚えかた

 「あれが○○」と言われて単語と物体の対応がなされる。しかし、最初は境界線があいまいになっている。例えば、犬を指さして「あれが犬」と言われても、最初は「犬」という単語が目という部位なのか、背景にある物体なのか、それとも毛皮のことを言っているのかが分からない。いろいろなシチュエーションで「あれが犬」と言われて初めて、どのシチュエーションでも共通している犬を「犬」という単語と対応させることができる。場数を踏むことでどんどん境界線をくっきりさせているということだ。

ガヴァガイ問題(the Gavagai problem)

 次のイラストのようなシチュエーションを考えてみる。果たして、「ガヴァガイ」とは何を指す単語だろうか。


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多くの場合、ウサギと答えるだろう(イラストがウサギに見えたらだが…)。しかし、実際はそこにウサギではなくてライオンがいてもインパラがいても「ガヴァガイ」となる。なぜなら、ガヴァガイの意味は動くもの全般を指すからだ。
 ではなぜ、ウサギと答えてしまうのか。ここには、未知の単語を聞いたとき、目の前に既知の物体しかない場合、その未知の単語を既知の物体と対応させてしまうという原則が絡んでいる。仮に、ウサギを知らない子供がこのシチュエーションにあった場合、ガヴァガイのことを「動いているもの」としてとらえるだろう。
 また、毛皮をはいで、耳もたたんだウサギの方向を指さしてガヴァガイと言われたら、ウサギを知っている人でも「あの動いてるやつ」と答えるだろう。このことから「ウサギそのもの」と「ウサギらしさ」は全く別のところにあることが分かる。自分たちは、ウサギそのものをウサギとして認識しているわけではなく、長い耳やふわふわした毛といった特徴のことをウサギとして認識しているというわけだ。
 これに関連して、指さしたものを特定の物体としてとらえる(相互排他性制約)のか、カテゴリとしてとらえる(事物分類制約)のか、全体をボヤっととらえる(事物全体制約)のかといった言語習得をより効率的にするための制約も存在する。

普遍文法

 チョムスキーは、世界の5000の言語はすべて人間語の方言だという表現をした。その根拠として、原始言語がないことを挙げている*2
 そのほか、音楽もユニバーサルなもので、音楽を持たない言語はこの世に存在しない。このことから、言語の起源は歌なのではないかという議論もされている。この仮説はかなり支持されている。
 各言語には共通点が多くあり、パターンも少数(例えば、目的語ー動詞or動詞ー目的語)。この少数パターンを区別するだけで、赤ちゃんは自分の周りで使われている言語の特徴をつかむことができるのではないか。

ただ覚えているだけなのか?

 言語習得はただ覚えているだけなのだろうか。これは過剰一般化という現象によって否定できる。例えば、英語圏の子供は、不規則動詞の過去形を単にedを語尾につけて発音することがある(holdの過去形を*holdedと発音したり)。これは、習得した動詞の過去形が-edや-dで終わっていることを不規則動詞にまで応用することで発生している。このことから、ただ覚えているわけではなく、頭の中で試行錯誤して言語の習得を行っていることが説明できる。

非言語コミュニケーション

 言語が発達しているにもかかわらず、サインなどの非言語によるコミュニケーションは今でも残っている。これは、それだけサインの効率がいいことを表している。
 また、人間のコミュニケーションの9割は非言語が占めている。少し言いすぎじゃないかと感じるが、ジェスチャーや表情などを見て話していることを考えるとそうなのかもしれない。そして面白いことに、表情に対応する感情はどこの地域でも同じだそうだ。
 感情には生得的な基盤があるが、詳細については言葉でしか表現できない。表現を可能にしているのは文法であり、これによって音と意味とをつなげることができている

付けたし

 ここまでなかなか抽象度の高いトピックでしたが、次回からぐっと具体的な内容に入っていくようです。ガヴァガイ問題とか、なんだよそれって感じでしたが、認識レベルはいろいろあるんだよ的なことを言っているんだと思います。多分。

*1:ここで、言語「習得」と言っているのは、言語は学習するものではないという観点から。数十年前は言語学習という呼び名が一般的だった

*2:実際は、サルとヒトとの分け目に必ずあるはず