コミュニケーション論 其の三 20170427
外国語
→日本人はLとRを聞き分けることが苦手
⇒だんだん外国語がわかるようになるのではなく、ある境から音が言葉になる瞬間がある(突発的に一気に到来)
辞書といわれると、3種類考えられる
①心的辞書:言葉を言葉として理解できるのは心の中にある辞書を参照しているから
②紙の辞書:そのまんまの意味
③電子辞書:そのまんまの意味
単語とは何か?
・聞くとわかる
⇒その単語を認識するような細胞が人間に備わっているのではないか?(おばあちゃん細胞)
・広辞苑には20万語あまり収録されている
→国立大学の名前はすべて収録されているので、ユニークでエキサイティングなキャンパスも名前が載っている
⇒日常生活を送れる程度の語彙とはいったいどのくらいなのだろうか
⇒約8800語くらい(50語テストの結果による)
・言葉の特徴によって世界が違って見える??
⇒フランス語ははっきりとしてクリアな言語なので、フランス語圏の人たちにはクリアな世界が見えている??
ビデオ資料1 プロジェクトX 「広辞苑の生みの親」
広辞苑の生みの親は新村親子
→初版は昭和30年
昭和12年から作り始める(日中戦争がはじまる)
⇒出の夢は「日本語を網羅するような辞書を作る」こと
猛は大学でフランス語を教えていた
→フランスでオックスフォード大辞典に出会う
→当時の辞書の説明書きは少々荒っぽい
⇒日本語を網羅してみたいという夢に
じきに警察に逮捕される(治安維持法違反)
⇒ペンネームで警察のことを批判するコラムを投稿する
⇒出にかくまってもらいながら2年後に釈放される
そんなこんなで廃人状態(もちろん職は失っている)になった猛だったが、出に自分の夢を手伝ってくれないかと頼まれる
⇒やってやろうじゃないか!!
しかし、二人では単語集めも十分にできない
⇒湯川秀樹など専門家に単語、語彙を分けてもらう(中間子という言葉もこの時点で追加された。中間子は湯川秀樹がノーベル賞をとった時のテーマ)
⇒結果として50人余りの専門家から15万の単語を集めることができた
ようやく出版かといったときに印刷所に空襲の攻撃が直撃
⇒原稿がお釈迦に。
⇒だがあきらめなかった
再び単語集めからやり直し
⇒終戦後は新しい言葉や文化が生まれていた。外来語も横行する。これも収録しなければ本物とは言えない(闇市、ノルマ、輪タク、アルバイトなどなど)
⇒終戦後に辞書を出版しようなんて会社はどこにもいなかった
⇒4か月後、岩波書店が辞書出版に名乗りを上げた
新しい単語、文化を編集するために男女7人が参加した
⇒岩波書店の一室を借りて編集が始まる
⇒出からの言葉の意味を書いた手紙も大量に
言葉の集め方はとても原始的
⇒新聞やラジオから新しい言葉があれば記録する
昭和27年に編集終了
⇒出版社に持ち込むも、専門用語の説明が難しいなどの問題点が浮上
⇒出版を遅らせることはできないといったら岩波書店の総力でもって再編集していった
昭和30年刊行
出の名前が背表紙に刻まれる
猛は大学教示に復帰。フランス語を再び教える
平成4年、87歳でこの世を去る
ビデオ資料② プロジェクトX 「ワープロ」
企業間の契約などが盛んになっていた時代、すべて手書きというのはサラリーマンの負担になっていた
⇒ワープロ開発のきっかけ
しかし、変換機能に苦戦する。自然言語処理、文節、区切りの認識をし、正確に変換するのは至難の業だった。同音異義語の変換も困難を極めた。また、ビジネス用語(弊社、検収)などは当時辞書に載っていなかったのでそのデータベース作りもしなければいけなかった。
結果、同音異義語については80%正しく変換できるようになった
⇒一文字増えるごとに予測しなおすというシステムを用いて正確に変換できるようにした
⇒学習機能を導入することによって一度選んだ返還後を優先的に出力させるようにする
その結果、変換に要するスピードを速めることができた