コミュニケーション論 其の四 20170511
辞書についてもう少し
話が通じないことを共役不可能性と専門的に呼んだりする.
⇒同じ言葉でも人によってその意味はそれぞれ
では、その「意味」はどこからやってくるのか
⇒その人間を取り巻くネットワークによって形作られる.しかし、このネットワークも日々変化している.
⇒言葉の意味は簡単には共有できない(不可能性)
辞書的な処理には"3C"と呼ばれるものがある
- corpus
- collocation
- communition
人間は、ある言葉がそこにあったならある程度のところまでとりあえず検索をかける.そして、そこから予測しながら意味形成をしていく.
ここから今回の内容に
バカの壁とは
理解が止まった時、あきらめた地点のこと
現状、打破することのできない絶対的な「壁」
という認識を持っていればいい
⇒一応砕いて書くと、「自分と他者(理解できない物)の間に存在する絶対的な壁」という認識.
死体から見えてくる
死体を見る機会がないことによって失っている物は何かないだろうか
胎児を人間と認めない日本人
⇒妊娠中絶などの社会問題などで浮き彫りになってきている
見てはいけない物を見てしまうと、人間の感性がガラッと変わってしまう
⇒変わってしまうことによってこれまで自分がしてきたことは間違いだったとわかってしまかもしれない
⇒自分の行動の正当さのために、見てはいけない物はなるべく見ないようにするのだという
しかし、そこで変わるのであれば変わった方がいいと養老さんは言う
養老さんは、国家試験に受かっても臨床医の道は選ばず、解剖学の道を選んだ
東大3年での解剖の実習
教室に死体がずらりと並ぶ.その中の一人と3か月間付き合っていかなければならない
死体のにおいが鼻につく
⇒食べるものすべてのにおいが死臭になってしまうほど
顔と手は人間にとって特別
顔の表情が読めないことに気が付く
⇒気味が悪いという感情になってしまう
自分のやったことがそのまま残り、その相手が変わらない
⇒これに関しては美術家と同じようだが、芸術は自分の手で積み上げていく.解剖は自分の手で壊していく.本質的に全く違うものである
⇒では、解剖で何が築けるのだろうか??
東大慰霊祭(検体者の)
死んだ人を別の世界の人と思わないこと.生きている人と同じように思うこと.
よく考えてみると、死者との間に線引きはない.生者同士だと様々なしがらみによって線引きがなされている.
江戸時代は火葬ではなく風葬.ほぼほぼ捨てるようなものと同じことだった.
⇒この時代から死体を見ない方がいいという感覚が生まれてくる.
⇒宗教は風葬が死体を捨てることだと認識している人から発生してくると養老さんは言う.
今の人は意識の世界がすべてだと思っている
言葉で言って泳ぐことができるか?
⇒やってみなければ泳げない
若者の「バカの壁」
オウム真理教のサリン事件
⇒高学歴の学生が入京していたのに疑問を覚える
現職:人間科学の講師
自由に文章を書く課題で養老さんはこう言う
⇒「自由に書くのは難しい」
その理由として、書いていく途中で自分が変わっていってしまうから.会話の中でも話しているうちに自分の考えが変わってくることもある.そして、これは一種の弁証法.
最近の若者は自分の考えに固執して相手の話を聞かない
⇒人間の原理主義化ではないかと懸念.原理主義は「学問の敵」とか「壁を作るもの」と呼ばれている.
今から生まれてくる人間はすでに出来上がっている世界に生きていく
⇒その子供たちを保護しすぎてしまうと、育たない.
⇒現在の教育は原理主義者を育てているのではないか?